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長崎県文化財データベース 世界の中の長崎

世界の中の長崎 ~長崎県の海外交流史と文化財~

■日本の近代化の先駆け

 長崎は、江戸時代、西洋に開かれた唯一の窓口として、西洋の科学や技術をいち早く取り入れており、この中から近代科学技術教育のさきがけとなる海軍伝習所や、近代的な船舶修理ドックの小菅修船場、更には、日本初の近代的機械工場となる長崎製鉄所が誕生するなど、長崎から日本の近代工業化が始まりました。

《造船業》

 一八五七年、江戸幕府が海軍創設に伴う艦船修復のために、オランダの指導のもと長崎製鉄所(創設時は長崎鎔鉄所)を建設しました。その際に購入した『竪削盤』(国重要文化財)が、わが国最古の工作機械として現存しています。また、一八六八年には、わが国最初の近代的ドックが創立されました(『小菅修船場跡』国史跡)。

 長崎製鉄所の施設は、明治維新とともに政府が接収し、一八七一年には長崎造船所と改称され、船舶の建造や修理、諸機械の製作が行われました。 長崎製鉄所は、ヨーロッパの技術を備えたわが国最初の機械工場で、ここで習得された工作技法は国内各地に広がり、わが国における近代工業化への礎となりました。

 一八七九年、当時東洋一の立神第一ドックが完成し、殖産興業の担い手として、造船業が発展しました。

《石炭産業》

 長崎県下で初めて石炭が掘り出されたのは、一七○五年頃、長崎港外の高島であったとされていますが、本格的に産出されるようになったのは明治以後のことです。

 石炭産業は、近代的採炭技術の導入により急速に発展しました。高島をはじめ、端島(軍艦島)、伊王島、香焼、松島、崎戸、池島など海底炭田は高品位の原料炭を産出し、蒸気船の燃料や製鉄用として近代工業を支えました。

 一方、佐世保、北松地区には小規模な炭鉱が数多く存在していましたが、やはり近代的採掘機械を導入して、出炭量を増加させました(『旧松浦炭坑事務所 一棟』県有形文化財)。

 高島炭坑の生産技術は、筑豊や北海道に伝わり、旧来の技術を一新し、炭坑の開発につながっていきました。

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