多くの島々や半島、湾から成る長崎県は、海をとおして大陸と接しています。対馬と壱岐は朝鮮半島との間に飛び石のように浮かび、五島列島は東シナ海に鎖のようにつながっています。
そのため、長崎の地は、古代から近世に至るまで、日本が海外の文物を取り入れる窓口として、大きな役割を果たしてきました。これは、海外から見れば、長崎は、日本を知る窓口であり、外国人の日本に対するイメージをつくる情報が発信された場所であったということです。
また、近代の長崎は、西洋の知識や技術をいち早く取り入れ、日本の近代化の基礎を築くさきがけ的な役割も果たしました。
日本の対外交流史において、外交、貿易、戦争、技術や思想の流入、これに伴う人々の往来など、「世界の中の日本」を学ぶとき、長崎の地を外して語ることはできません。
長崎は、東洋と西洋の文化が遭遇し融合した場所であり、全国から海外の文化と知識を求めて人々が集まる、学問の発信地でした。
このように、情報・文化・教育の結節点といえる本県の歴史の特色は、地理的な位置とまわりを囲む海がもたらした「海外との交流の歴史」であるといえます。
次ページへ →