キリシタン大名大友宗麟の領内で作られた「メダイ」が長崎県下で初出土

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1.事業概要

(1)事業名 

 早岐川河川改修工事に伴う埋蔵文化財発掘調査(早岐瀬戸遺跡)

(2)事業主体

長崎県教育委員会

(3)調査主体

長崎県埋蔵文化財センター

(4)調査期間

令和元年度から令和6年度(継続中)

2.内容

 長崎県教育委員会は、令和元年度から佐世保市の早岐川河川改修工事に伴う埋蔵文化財発掘調査として、早岐瀬戸遺跡の発掘調査を実施しています。

 出土遺物の整理作業や精密分析・保存処理作業は、発掘作業の翌年度以降に順次着手しており、今回確認された青銅製品は令和2年度の発掘調査で出土しました。

参考資料(早岐瀬戸遺跡メダイほか画像)[PDFファイル/1MB]

(1)青銅製品の説明と歴史的意義

 この青銅製品は、付着していた泥をクリーニングし類例を調べたところ、16世紀のキリシタン大名、大友宗麟の領内である豊後(現在の大分県)で作られたとみられるキリシタン信仰用具「メダイ」であることがわかりました。豊後産のメダイが長崎県内で出土したのは初めてです。

 円盤の上部にナスビのヘタのような三つの角があるのが形態的な特徴で、高さ24.8ミリ、幅17.8ミリ、厚さ5.7ミリ、重さ13.4グラムで青銅製です。聖画像などの文様はなく無文ですが、これまで豊後府内(大分市)を中心に34例が知られており、それらの中には十字架が施されたものもあります。

 キリスト教におけるメダイは、キリスト、マリア、聖人、十字架などを施した金属製の小さなプレートで、護符や信仰を表すものとして信者が携行したものです。1549年にザビエルによってキリスト教が伝えられて以降、来日した宣教師たちはヨーロッパやアジアで作られたメダイをもたらしましたが、今回確認されたメダイは、豊後において独自に作られた日本産で、豊後が島津氏によって焼き討ちされる1586(天正14)年まで作られていたと考えられています。

 長崎県内では、1571年に町建てされキリシタンの町として栄えた長崎(現在の長崎市街)においては数多くのメダイが出土していますが、豊後産のメダイはこれまで確認されていません。今回、早岐瀬戸遺跡から豊後産のメダイが出土したことは、長崎開港以前のキリスト教の広がりを示すものとして貴重です。長崎以前に南蛮船が寄港していた平戸や、大村純忠が開港した横瀬浦と豊後とのつながりの中で伝えられ、その後信者によって保持されていたと推測されます。

(2)青銅製品の出土状況

 メダイが発見されたのは、早岐川河口の埋め立てに伴う護岸石垣の基礎石の近くです。護岸石垣は、17世紀代に埋め立て地が拡げられていく過程で、数多く築かれたことが明らかになってきています。

 メダイが埋め立て以前の干潟に埋没していたものなのか、埋め立てが始まり護岸石垣を築く際に残されたものかで時代背景は大きく変わります。もし、埋め立て以前の干潟に埋没していたとすれば、キリシタン大名大村純忠の治世である可能性があります。また、埋め立ての際に埋没したとすれば、禁教令の布告された後である可能性があります。今後、護岸石垣を含む遺構や周辺の出土遺物を整理していくなかで総合的に検討していきます。

(3)今後の予定

 令和元年度から始まった大規模な発掘調査では2,800箱を超える膨大な遺物が出土しており、現在は出土品の整理作業に着手しています。令和12年度に総括報告書の刊行を予定しており、メダイにまつわる謎をはじめ、地域の歴史を少しずつ紐解いていく予定です。

 

投げ込み資料「早岐瀬戸遺跡メダイ」[PDFファイル/1MB]

担当課 長崎県埋蔵文化財センター調査課
担当者名 松元一浩
電話番号 直通:0957-65-3700
担当課 長崎県埋蔵文化財センター調査課
担当者名 川口洋平
電話番号 代表:0920-45-4080