琴尾山烽火台跡は、江戸時代において唯一の外港として機能した長崎港における外国船侵入などの異変を伝達する施設として設置された烽火台跡である。烽火台跡は、長崎県南部全域と大村藩主の居城である玖島城を眺望できる琴ノ尾岳(451.35m)の北斜面と南斜面の2ヵ所にあり、北斜面の烽火台が県指定史跡となっている。
大村藩郷村記には「琴(こと)の緒(お)嶽(だけ)(現在は琴尾山と書く)の中腹に狼煙(のろし)竃(かま)の跡あり、長崎異変の節、長崎の烽火山よりうけつぎ平戸領錐崎へ通報する定である」と書かれており、伝達の中継点として長崎・大村・平戸を結んでいたことがわかる。文化5(1808)にイギリス軍艦フェートン号が長崎港に不法侵入した「フェートン号事件」の際に、烽火台による伝達が上手く機能しなかったため、文化6年(1809)以後は烽火台を廃し飛脚をもって通報することになった。烽火台の形態をよく残している貴重な遺跡である。
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