本文化財は、生月島南部の舘浦集落で、豊漁・豊作や家内安全を祈願して、毎年8月に行われている行事である。行列を組んで集落内を練り歩きながら、神社仏閣や公共施設で披露する「奉納踊り」と、依頼され個人宅で披露する「ブサタバライ」からなる。奉納踊りは、槍、挟箱、杖の演技と中踊りからなり、3回もしくは5回繰り返す。中踊りの前には、アビャゴと呼ばれる子どもが口上を述べる。また、最後の中踊りで傘鉾が登場する。
中踊りは、着物を着て笠を被り、扇子や笛を右手に持ち、唄に合わせてゆっくりとした動作で踊るのが特徴で、長崎県下に分布する同様の踊りとともに、「須古踊」と呼ばれている。
須古踊は佐賀県杵島郡白石町須古を発祥とする伝承がある踊りで、戦国期から江戸初期の風流踊(※1)の系譜をひく芸能である。天正2年(1574)に須古妻木城が龍造寺隆信の攻撃で落城したのち、各地に逃れた平井家の家臣らによって本県に伝えられたとされ、舘浦の須古踊は元禄期(1700年頃)には行われていたと言われている。
中踊りは須古踊の特徴をよく残すもので、これに、大名行列の奴の毛槍や挟箱の所作が芸能化した「槍」と「挟箱」、武術としての棒術が芸能化した「杖」が加わって定着している点が特徴である。
また、中踊りの前に口上を述べるアビャゴはシンブツ(神仏)とも呼ばれ、遊行念仏僧を指すシンボチ(新発意)の転訛であり、須古踊を伝えた宗教者を指すとされる。
また、奉納踊りの最後に登場する傘鉾は、傘下に巻物や巾着をぶら下げたもので、長崎くんちの傘鉾には見られず、神霊が依り憑く神輿のような機能を付加した古式の傘鉾とされている。これらの要素は他の須古踊には見られず、極めて特徴的である。
舘浦の須古踊には、未就学児から小学生、中学生、青年部、中高年まで世代を超えて参加し、集落を挙げて伝承への意欲も高い。
(※1)「華やかな、人目を惹く」という風流の精神を体現し、衣装や持ち物に趣向を凝らし、笛や唄・鉦などの囃子に合わせて踊る民俗芸能のこと。除災や供養、豊作祈願、雨乞いなど、安寧な暮らしを願う人々の願いが込められている。