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福建会館 正門・天后堂・番人屋

有形文化財(県指定)
よみがなふっけんかいかん せいもん・てんこうどう・ばんにんや
指定年月日令和7(2025)年3月17日
所在地長崎市
所有者一般財団法人 
ファイル

 福建会館の前身施設である八閩(はちびん)会所の会所部分が明治21年(1888)に焼失し、前身建物も全般に老朽化のため、同年代末に全面的に重修(重建)され明治30年(1897)に竣工し、この機に「福建会館」と改称された。
 正面の石段を登ったところに正門があり、門を潜ると前庭が広がり、その正面奥の階段を経て天后堂に導かれる。天后堂の右手奥に煉瓦塀で囲まれた番人屋がある。
正門(図1)は、中央間と半間幅の両脇間に扉口を開く三間三戸の平面で薬医門(※1)の形式で、屋根は平入りの切妻造で中央部を高くした段違いとし桟瓦葺き、角柱で柱身は砂岩の一本柱で木部は総丹塗り(※2)である。
 中国風の趣を感じさせるが組物や細部装飾、軒反りの様子など全般には和様を基調とし、小振りながら、和様に中国式を加味した造形は、「類例の少ない門形式として貴重な遺構」である。
 天后堂(図2)は、間口と奥行きがほぼ等しい正方形平面で前面一間を黄檗天井(※3)(図3)の吹き放ち廊とした中国の祭祀を行う霊廟(※4)形式の建物である。正面の側柱は正門と同様、柱身を砂岩の角柱、上部を木造とし、木鼻の彫刻や植物文様を籠彫り(※5)にした持送りがある。
 架構(図4)は、広間内柱を屋根裏までの通し柱とし、天井を張らない化粧屋根裏で内部空間は露出した構造材の力感で雄大な印象を与える。堂内(図5)の木部の総丹塗り仕上げ、小屋束の胴張り、要所に彩画装飾など、ほぼ純正な中国式を基調としている。しかし前廊部の木部はすべて素木のままで堂内の彩色・彩画も華美に過ぎることなく、蟇股(※6)や絵様の形態などには和様の要素が混入し、造形、細部意匠ともに優れており、工匠の力量の高さを窺わせる貴重な建造物で「数少ない類例の中でも最上で最古の遺構」である。
 番人屋(図6)は、天后堂から延びた煉瓦塀(図7)がそのまま外壁面となり、天后堂側の一面を浅い吹き放ち廊とした付属屋的な別棟である。内部は30年ほど前に展示施設に改修されているが、天后堂と一体的な建造物であり、「会館(会所)の施設構成を示す珍重な遺構」である。
 福建会館ならびにその天后堂は、航海安全の守護神として著名な天后聖母(媽祖ともいう)をまつり、長崎における中国文化と国際交流の歴史を特色づける重要な遺構として、その存在価値が高く評価できる。

※1 薬医門(ヤクイモン):鏡柱(かがみばしら)と控柱(ひかえばしら)、冠木(かぶき)を大きな屋根で覆った形式の門。
※2 総丹塗り(サニヌリ):全体を朱や丹の顔料で塗られたもの。社寺建築に用いられている。
※3 黄檗天井(オウバクテンジョウ):アーチ型の天井構造(蛇腹(じゃばら)天井(てんじょう))。
※4 霊廟(レイビョウ):死者や先祖の霊を祀る建物。
※5 籠彫り(カゴボリ):籠のように内部を空洞にした透かし彫りで、近世の木鼻等に用いる。
※6 蟇股(カエルマタ):荷重を分散して支えるため下側が広くなった部材。(蛙の様に見えるため)

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