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意野家伝来挟み尺・曲尺

明治時代の度量衡改正の基礎となった江戸時代後期の尺度を示す新たな資料
意野家伝来挟み尺・曲尺
有形文化財(県指定)
よみがなこころのけでんらいはさみかね・まがりかね
指定年月日令和6(2024)年10月3日
所在地平戸市
所有者個人
ファイル

 「意野家伝来 挟み尺・曲尺」は、平戸藩御用大工であった意野(こころの)曲尺助(かねすけ)が所持した挟み尺2点と曲尺1点からなる。附(つけたり)の木製道具入れの箱書きによると、天保13 年(1842)正月、意野曲尺助が38 歳のときに、挟み尺と曲尺を御上り場(藩主の乗下船場)で、平戸藩主松浦家の先代当主であった松浦熈(まつらひろむ)公から和歌とともに賜った。和歌色紙に記された和歌は、曲尺という道具の名と意野曲尺助の名を掛け、直角を出す曲尺は大工に欠かせないという道具の特色と、まっすぐで心の模範たる性格は人を助ける器となるだろうという曲尺助の人物像を重ねて詠む。この和歌からは熈公と曲尺助の深い信頼が窺える。その後、安政3 年(1856)11 月に曲尺助は熈公から意野の苗氏を賜ったことが苗氏目録から判明する。
 挟み尺(大)は幕府御用時計師であった大野規行(のりゆき)(?-1848)、挟み尺(小)及び曲尺はその子で同じく幕府御用時計師の大野規周(のりちか)(1820-1886)によって製作されたと考えられる。大野規行は、伊能忠敬の測量道具を製作したことで知られる。 
 本来これらは測量道具であることから、伊能忠敬による平戸藩領の測量(1812-1813)や幕府による天保期の国絵図改訂(1835-1838)を契機として、現在、松浦史料博物館が所蔵する他の測量道具と共に松浦家が入手し、絵図作製事業が終了したあとに、松浦熈公より意野家へ下賜されたと推測される。
 挟み尺(大)は全長190mm。厘(りん)(寸の100分の1)まで読みとることができる目盛りが刻まれ、伊能忠敬が測量に使用したとされる「折衷尺(せっちゅうじゃく)」(1寸=30.3mm)を示す。折衷尺はこれまで明治時代の度量衡(どりょうこう)(※1)改正にあたって参考にされたものさし(国立科学博物館所蔵)でのみ存在が知られていたが、この挟み尺によって、それ以前に実在していた可能性が高まった。挟み尺(小)は全長134mm、曲尺は全長196mm。ともに「又四郎尺」(1寸=30.24mm)を示し、上記の折衷尺と同様に、度量衡改正の参考となった尺度が、やはりそれ以前から実際に使用されていた可能性を示す資料である。
 本文化財は、明治時代の度量衡改正の基礎となった江戸時代後期の尺度を示す新たな資料として、日本の計量史研究の進展に資するものである。
 また、幕府による測量事業や絵図作製事業に呼応して、当時の最新の技術に関心を持ち、江戸の技術者が製作した道具を積極的に取り入れた平戸藩の先進性がうかがえる。さらに、一連の役割を終えた後、大工道具として藩の大工へ下賜されたという、他に例をみない来歴をたどった歴史資料として、高い価値を有する。

(※1)度量衡…計量に用いる長さ(度)・体積(量)・重さ(衡)の基準を定めた制度。明治8年(1875)に度量衡取締条例が制定され、長さに関しては折衷尺を基準として1m=3.3尺と定められた。

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