山下家は平戸街道筋にあって、藩主松浦(まつら)公の宿泊の本陣にあてられていた。酒造は元禄年間(1688~1704)の創業で、既に県指定となっている「もと蔵」は創業当初のものと言い伝えられている。「貯蔵蔵」は創業から約100年後の1800年ごろに建てられたものと言われている。
「貯蔵蔵」の構造は木造土蔵造、梁間6間(11.7m)、桁行9間(19m)で、中柱2本(40㎝角の松材)で支えられており、室内に立つ柱の本数を減らし、内部空間を広く使うための工夫で、もと蔵の架構方法を継承している。広さは「もと蔵」の約1.5倍。(南面には明治期(1868~1912)に下家が増築されている。)切妻屋根で本瓦葺き。勾配は6寸5分の急勾配で屋根裏は広い空間となっている。外壁は土蔵造りで漆喰塗り。
2階の床高さは、3.38m、2階の床板表面から棟下端までの高さ5.4m、軒桁上端までの高さ2.2m。小屋組みの登り梁と柱の仕口は軒桁の下に「受け胴差し」を入れた丈夫な造りで、2階床大梁も柱3本にわたって取り付けた「受け胴差し」に掛けて荷重の分散を図っている。
この様な丈夫な造りの架構法で現存するものは古い蔵で少ない。もと蔵の梁よりさらに太く曲がりのある丸太材を使い、非常に豪放で迫力がある。江戸時代から変わらず現在も同じ山下家によって、酒蔵として現役で使われている点も大きな価値を持つ。
山下家の貯蔵蔵は、優れた特徴と、長崎県指定有形文化財にふさわしい歴史的価値を有し、街道筋にある酒造として往時をしのばせる景観資産としての価値も非常に高く、地域のシンボル的存在となっている。