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壱岐安国寺の中世文書 11点

壱岐の安国寺や松浦党のようすを伝え、壱岐の歴史を知るうえで貴重な資料
壱岐安国寺の中世文書 11点
有形文化財(県指定) 
よみがないきあんこくじのちゅうせいもんじょ
指定年月日令和4(2022)年3月29日
所在地一支国博物館(壱岐市芦辺町深江鶴亀触515-1)
所有者宗教法人 安国寺
年代室町時代から戦国時代
ファイル

 壱岐の安国寺は、足利尊氏・直義兄弟が諸国に建立を求めた安国寺・利生塔(りしょうとう)(※1)の一つで、壱岐国ではすでにあった海印寺をこれに充てた。開山には臨済僧の無隠元晦(むいんげんかい)(※2)を招いた。
 
 安国寺伝来の中世文書11点は、室町時代から戦国時代までのもので、足利義満発給文書3点、無隠元晦関連文書2点、松浦党(まつらとう)関係文書6点からなる。
 
 応永3年(1396)に足利義満が僧・顕悦(けんえつ)を安国寺住持職に任命した公帖(こうじょう)は、全国的にみても遺例が少なく、室町将軍と安国寺と関係が深いことを示している。
 
 無隠元晦関連文書としては、康正2年(1456)に「法雲普済禅師(ほううんふさいぜんし)」の号が授けられた口宣案(くぜんあん)(※3)と室町時代の臨済僧・存耕祖黙(そんこうそもく)(※4)による漢文の法語が残る。
 
 松浦党関係文書は、15世紀中期の松浦党諸氏が分治していた当時の壱岐の状況を伝える。寛正3年(1462)の志佐(しさ)義(よろし)寄進状(きしんじょう)(※5)は、安国寺に対して仏殿造営のために石田郷を寄進するもので、志佐氏による安国寺保護のあり方がうかがえる。
 
 また、文明5年(1473)の佐志氏女安堵状(さししおんなあんどじょう)(※6)は、一族の当主的な立場にあった女性が発給したものと推定され珍しい。

 これらは壱岐の安国寺や松浦党のようすを伝え、中世文書の乏しい壱岐の歴史を知る貴重な資料として学術的価値が高い。

(※1)安国寺・利生塔:室町時代、将軍足利尊氏と直義兄弟が、後醍醐天皇以下戦死者の慰霊のために全国に建立した寺院と塔。
(※2)無隠元晦:鎌倉・南北朝時代の臨済僧。?~1358年。豊前国の人。中国・元にわたり、中峰明本の法をつぐ。大友氏泰にまねかれて筑前顕孝寺・聖福寺にはいり、のち京都建仁寺、南禅寺の住持となった。延文3・正平13年(1358)10月17日死去。
(※3)口宣案:古文書形式の一つ。蔵人(くろうど)が勅命(天皇の命令)を上卿(しょうけい)(朝廷の諸行事・会議などの執行の責任者として指名された公卿)に口頭で伝える代りに、その内容を簡単に覚え書き風に記して渡したもの。
(※4)存耕祖黙:室町時代の臨済僧。?~1467年。京都東福寺の少室通量の法をついだ。のち東福寺住持をへて南禅寺住持。五山文学者として知られた。文正2年(1467)2月14日死去。
(※5)寄進状:神仏社寺や権門勢家に財物所領を寄進する際、その内容目録と寄進理由などを記して添えた文書。
(※6)安堵状:中世から近世において、所領や所職の確認(安堵)を行う際、証文として発給された文書。

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