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紙本著色 永覚元賢像

わが国の明清文化の受容の多様性を示す、学術性が高い作品
紙本著色 永覚元賢像
有形文化財(県指定)
よみがなしほんちゃくしょく えいかくげんけんぞう
指定年月日令和4(2022)年3月29日
所在地長崎市寺町1番1号
所有者宗教法人 晧台寺(こうたいじ)
年代17世紀
最寄り駅電停「思案橋」から徒歩5分

 中国の曹洞寺院である湧泉寺(※1)(中国福建省福州市郊外)の住職を務めた永覚元賢(1578~1657) (※2)の頂相(ちんぞう)(※3)で、長崎市寺町の晧台寺(こうたいじ)(曹洞宗)に伝わる。 
 正面向きで、四角い背板をもつ曲彔(きょくろく)(※4)に濃紺の法被を掛け趺坐(ふざ)(※5)し、手に払子(ほっす)(※6)をもつ。像の上部には永覚元賢の自題が別紙で貼り継がれている。法量は縦118.1cm、横47.2cm。画賛部は縦32.4cm。掛幅装(かけふくそう)。
 延宝5年(1677)に晧台寺5代住職の逆流(ぎゃくりゅう)禎順(ていじゅん) (?~1694)は、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)(※7)を建立する。その話は中国の曹洞僧・為霖道霈(いりんどうはい) (1615~1702)(※8)に伝わり、道霈の師である永覚元賢の頂相等が晧台寺に贈られた(「海雲山(かいうんざん)歴住略記(れきじゅうりゃっき)」)。近世における日中の文化交流としては、黄檗(おうばく)文化の流入が知られるが、曹洞宗においても中国との交流があったことは注目される。
 顔の描写は、まず淡墨線で顔の各部位の輪郭を描き、淡墨によるぼかしを幾度も重ね、その上から肌色を淡色で施し、わずかな暈取(くまど)りや描起線を加えて、立体感と質感を表している。落款がなく作者は不明であるが、顔の描画技法は中国・明代の肖像画にみられるものであることから、中国で制作された可能性が高く、制作時期は17世紀半ばと考えられている。
 本作品は、江戸時代に中国から日本へもたらされた経緯が分かる絵画の数少ない遺例の一つであり、わが国における明清(みんしん)文化の受容の多様性を示す資料として学術的価値が高い。

(※1)湧泉寺:福建省福州市の郊外、標高455mの鼓山(こざん)にある。唐の建中4年(783)に開創、最初、華厳寺と称したが、宋の真宗より「湧泉禅寺」を下賜され、湧泉寺と改めた。
(※2)永覚元賢:中国の曹洞僧で、鼓山湧泉寺の住職
(※3)頂相:禅宗特有の肖像画。
(※4)曲彔:導師が説法・法要に際して用いる腰かけ。
(※5)趺坐:足背を股の上に置いて坐すこと。
(※6)払子:高僧の装身具。住持が説法時にこれを持つことで威儀を正す。
(※7)毘盧舎那仏:大乗仏教における仏の一つ。晧台寺の毘盧遮那仏は、県指定有形文化財「長崎晧台寺の大仏(毘盧舎那仏坐像及び基台)」
(※8)為霖道霈:中国の曹洞僧、福建省福州府閩県に住す。永覚元賢の法を嗣ぐ。


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