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天祐寺の木造四面菩薩坐像

天祐寺の木造四面菩薩坐像
有形文化財(県指定)
よみがなてんゆうじのもくぞうしめんぼさつざぞう
指定年月日令和3(2021)年2月18日
所在地諫早市西小路町1116
所有者宗教法人 天祐寺

 本像はもと四面宮(しめんぐう、現在の諫早神社)に安置され、諫早家の尊崇を受けていたものである。明治初年の神仏分離に際し、別当寺である荘厳寺(しょうごんじ)が廃止され、四面宮が諫早神社と改称されるにいたって諫早家菩提寺の天祐寺へ移された。
 四面神は『古事記』国生み神話にみる筑紫島(九州)の一身四面神に由来するといわれ、肥前国を代表する霊山の一つである雲仙岳の神である。その信仰は雲仙岳の山麓各地に広がりをみせており、諫早の四面宮は有力な分社の一つであった。
 像高は78.8cm。寄木造。右手の持物は失われており、左手は膝辺りに置く。結い上げた髻(もとどり)や手首の腕釧(わんせん)などは華やかで、吉祥天や弁財天など仏教における天部(インド、中国、日本などの仏教以外の神がとり入れられ、仏教の守護神となったもの)の尊像を思わせる。右足を立てて座るという初期神像以来の女神の一典型を継承しつつ、仏教における天部の女神を中心とした様々な尊像の要素を取り込んでいる。
 胎内の背面には「日域惣本家/大佛師法印左京孫/張瀬刑部作/宝永二年/乙酉八月吉日」と墨書があり、宝永2(1705)年に造像されたことが分かる。仏師の張瀬刑部については不明ながらも、慶派(平安中期の仏師・定朝の系譜を引く仏師の一派)の有力仏師であると考えられる。なお、胎内には像底に和紙で包まれた納入品が固定されているが、現時点では中身を確認できない。
 本像は、江戸時代の尊像の基準作であり優作であるにとどまらず、島原半島を中心に広がりをみせていた長崎固有の四面神信仰を背景にする点で大きな意義をもった作例であり、県有形文化財に指定するものである。

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