越高遺跡は、対馬西北部に位置し、海岸部から細い谷部にかけて立地する縄文時代早期末~前期(今から約7,100年前~6,400年前)の遺跡である。尾根を挟んで約60m離れた2地点からなり、南からA地点、B地点と呼称する。
最大の特徴は、両地点で出土する土器の大半が、朝鮮半島新石器時代早期の隆起文土器で占められる点にある。また、A地点の海岸部では、約1m四方の方形の石組み炉が見つかっているが、類例は同時期の日本列島にはなく、韓国釜山広域市の東三洞遺跡や凡方貝塚で確認されている。これらの点から、新石器時代に朝鮮半島から渡来した人々が居住した遺跡であることが分かる。
一方、土器に使われた粘土に対馬産のものが含まれることや、石器に使われた黒曜石の産地が、西北九州産の石材のみで構成されることから、これらの材料については、九州の縄文人との交流の中で入手していたと推測できる。
このように、越高遺跡は、縄文時代早期末~前期に朝鮮半島から渡来した人々が、九州の縄文人と交流しながら物資を入手し、生活することで形成された遺跡と考えることができ、縄文時代の日韓交流の在りようを示す遺跡として高く評価できる。