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本河内水源地水道施設

本河内水源地水道施設
重要文化財(国指定)
よみがなほんごうちすいげんちすいどうしせつ
指定年月日平成29年(2017)7月31日
所在地長崎市本河内3-2536ほか
所有者国(国土交通省) 長崎県 長崎市

 幕末に外国人居留地が建設され、海外との貿易による海外文化の流入と共に、伝染病の流入も多く、コレラ・赤痢の疾病の流行に悩まされた。そのため水道設備の必要性が提唱され、長崎水道(本河内高部ダム)は、横浜・函館に続いてわが国3番目の近代水道施設として明治24年に建設された。  
 長崎水道(本河内高部ダム)は日本人(吉村長策)により建設され、日本で最初のダム式水道施設である。
 高部堰堤(えんてい)は、透水性の異なる普通土、精選土、粘土に区分された構造をなし、表面には自然石張り、取水塔は煉瓦を積上げ漏水対策にモルタルを塗るなど全て人力作業で行われ、当時の高度な技術と職人技がうかがえる。
 当初の水道施設は、堰堤、貯水池、濾過池、配水池、量水室から構成されているが、濾過池(ろかち)は現在、撤去されている。
 本河内高部ダムの完成により長崎市民の日常生活と健康維持に好影響もたらしたが、明治31年には、長崎市域の合併や港湾埋立により人口が増加したため、水不足が深刻化し、明治33年8月に第1回長崎水道拡張事業で本河内低部ダムが着手し、明治36年3月に完成した。
 本河内低部ダムは日本で2番目に造られたコンクリート造水道ダムで、堰堤本体はダム上流の右岸の岩石を砕いた粗石をコンクリートで固めた粗石コンクリートになっている。国産のセメントが生産され始めた我が国の黎明(れいめい)期のコンクリート構造物である。
 本河内水源地水道施設は、我が国に建設された最初期の近代水道施設であり、貯水池を備えた水道施設の先駆けで、我が国の水道史上、価値が高い。

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