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長崎原爆遺跡

長崎原爆遺跡
史跡(国指定)
よみがなながさきげんばくいせき
指定年月日平成28(2016)年10月3日
所在地長崎市松山町、城山町、本尾町、坂本一丁目
所有者長崎市 カトリック長崎大司教区 長崎大学

 第二次世界大戦の末期である昭和20(1945)年8月9日に長崎に米軍により投下された原子爆弾(以下、原爆と略す)の被害を伝える遺跡で、爆心地と具体的な破壊力を示す周辺に広がる旧城山国民学校校舎、浦上天主堂旧鐘楼、旧長崎医科大学門柱及び山王神社二の鳥居・参道で構成される。
 爆心地は、原子爆弾が炸裂した空中点の直下の地点として持つ破壊の起点であり、原爆による破壊力を示す遺構として被爆当時の地層が残されている。旧城山(しろやま)国民学校校舎は、鉄筋コンクリート造3階建てで、被爆による高熱火災の痕跡や原爆の衝撃波によるものと考えられる亀裂が見つかっている。浦上(うらかみ)天主堂旧鐘楼は、大正14(1925)年完成の天主堂の塔の上にあったもので、被爆により天主堂北側の崖下の小川まで滑落し、現在まで位置を留めている。旧長崎医科大学門柱は、被爆により9cmずれ、傾いたまま立っている。山王神社二の鳥居は、爆心地方向の柱は爆風によって倒れたが、反対側の柱は、一本柱になったまま自立している。
 長崎原爆遺跡は、第二次世界大戦末期における原爆投下の歴史的事実、核兵器の被害や戦争の悲惨さを如実に伝えている。
 

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