島原城跡の南方に建ち、主屋の平面は西を上手として玄関から入ると正面に床棚を構える客間・長四畳・仏間が一列に並び、さらに居間・台所と続き、玄関横には書斎がある。
屋根は玄関の間・客間・長四畳の部分の南北棟と、仏間から台所の東西棟が直交し、玄関前面と東西棟を入母屋造りとし、周囲に下屋を廻す。
玄関の間・客間の南北棟が明治2年の建設当初の形状が残り、仏間以下の東西棟が昭和17年に増築され、居間・台所が昭和48年に改修された。
玄関の構えや床の間の形状は明治当初の風格ある造りを残している。
離れは、主屋建築後の大正末期に、敷地の南東隅にあって小道・水路に面して建てられた。平面は南に面した玄関へ水路を渡り入ると右手に台所、左手が6畳の和室、この奥に床の間と仏壇を構える6畳の座敷、この右手に3畳の次の間が並び、廊下を介して浴室、便所を造る。
玄関・台所などを別棟として建て、建物は単一の機能をもち、二、三室から成る書院造りの離れの機能を有する。
湧水の流れる町並みの三叉路の角地にあり、島原の往時の町並みを今に伝え、町並み景観上重要な位置を占めている。