島原城は、島原半島東岸に位置し、雲仙普賢岳からのびる低丘陵上に築かれた近世城郭である。
元和4(1618)年に松倉重政が着工し、寛永2(1625)年頃に主要部分が成立したとされる。中心部は本丸・二ノ丸・三ノ丸が南北に並ぶ連郭構造をなし、その北側に家臣団屋敷を収容する外曲輪(くるわ)を構えて城の外郭線を形成している。平面長方形を基調とする敷地全体の規模は、東西約350m、南北約1,200mを測る。
江戸幕府が新規築城を原則禁止していた中で、島原城は全国でも数少ない新設の城郭であった。その内部構造は極めて個性的で、大手口から本丸に至るまでの複雑な城道や30基を超える外郭の櫓群など、日本城郭の完成期に差掛かった頃の堅固な「縄張」を誇った。また本丸の枡形虎口(ますがたこぐち)等には、桃山期からの伝統的様式の巨石石垣が認められる一方、各曲輪を構成する高石垣には江戸前期の先進的技法が看守でき、転換期の城郭土木の実態がよく残っている。