臨済宗妙心寺派である不老山寿昌寺の本尊である。玄界灘を臨む不老山の山上に康保4(967)年に創建されたといわれ、古くは天台寺院であったが、松浦党の志佐氏代々の菩提寺として庇護を受けていた。
如意輪観音坐像は、本堂中央の壇上高くに安置され、像高は83.7cm、髪際高では60.6cmである。基本的な構造としては、寄木造の像で、目には水晶を嵌入(かんにゅう)して 玉眼(ぎょくがん)としている。体内には、造像、開眼、修理時の銘文が残っている。造像時の銘には、南北朝時代の志佐(しさ)氏が檀那であることが残っており、作者である仏師幸心の名がある。幸心は、慶派
(けいは)の流れを汲んだ 西国湛派(さいごくたんぱ)に連なる仏師であると推定される。
本像は、南北朝時代の松浦地方の仏像として優れた作品の一つであるとともに、体内の造像銘や修理銘は、仏教彫刻史のみならず松浦地方を含む西北九州の歴史を考察するうえで極めて重要な史料になるといえる。