島原城三の丸の旧常盤御茶屋北側の通りと田屋敷小路が交差する南西角にある。三の丸は近世に上級藩士が居住していた一角で、小早川氏の敷地は、元治2(1865)年の『島原藩士屋敷図』によると、島原藩老連判役の上級家臣で300石を拝領した佐野勇太郎の邸宅であったことが知られている。敷地は、東西約40m、南北約45mのほぼ正方形を成し、外周を高い石垣、煉瓦塀が囲み、東面のやや北寄りの位置に表門の薬医門を開く。
敷地内は、主屋座敷から眺められる南東部に池泉と築山の観賞用の庭園を、北側の台所付近には洗い場や井戸を、南西部には畑地を設け、敷地内で用途に従って使い分けている。
現在の主屋は棟札から明治23(1890)年の建設だが、湧水と築山庭園の構成はその格式からみて近世のものと判断される。作庭や景観が優れるだけでなく、近世から近代にかけて、島原の城下町に継承されてきた湧水を主体とする池泉庭園及び水利用施設、用途により区分された導水路の系統などが見られ、この地方に独特の造園文化の発展に寄与してきた意義深い事例である。