五島列島の最南端に位置する福江島の北西端から東シナ海へと突き出た三井楽半島は、新生代第三紀の終末期頃に楯状火山である京ノ岳(標高182m)から噴出した溶岩流が放射状に広がり、緩やかな傾斜面から成る円形の溶岩台地を形成している。特に、台地の縁辺部には、冬季の強い偏西風により樹木の叢生しない平明な草地が広がり、西方から打ち寄せる波打ち際に沿って大小多様な硬い玄武岩質の溶岩礫が露出するなど、風光明媚な海浜及び海域の風致景観が展開する。黒褐色の溶岩礫から成る海岸裸地とヤブソテツ・ハマビワなどの潅木帯との間の草地では、かつて牛馬の放牧が行われ、牧場としての管理が行われていたが、現在では海岸砂丘の周辺にハマゴウ・ハマボウなどの落葉低木及びハマヒルガオなどの海浜性草本などが散在している。
三井楽半島の溶岩礫・草地から成る海浜とそれに連なる海域は、遣唐使が大陸を目指して東シナ海を横断する旅に船出した場所であり、亡き死者に逢うことのできる西の最果ての地として歌枕にも定着した。その風致景観が持つ観賞上の価値及び学術上の価値は高い。