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高島炭鉱跡 高島北渓井坑跡 中ノ島炭坑跡 端島炭坑跡

高島炭鉱跡 高島北渓井坑跡 中ノ島炭坑跡 端島炭坑跡
史跡(国指定)
よみがなたかしまたんこうあと たかしまほっけいせいこうあと なかのしまたんこうあと はしまたんこうあと
指定年月日平成26(2014)年10月6日
所在地高島北渓井坑跡:長崎市高島町99-1ほか 中ノ島炭坑跡:長崎市高島町中ノ島 端島炭坑跡:長崎市高島町 端島炭坑跡:長崎市高島町 
所有者長崎市 他

 高島炭鉱跡は、長崎市中心部の南西約15~20km、長崎半島の西方約5kmの海上に浮かぶ高島・中ノ島・端島に所在する我が国近代を代表する採炭に関する遺跡である。幕末・明治初頭の「高島北渓井坑跡」、明治期の「中ノ島炭坑跡」、明治から昭和にかけての「端島炭坑跡」からなり、幕末から昭和までの各時期の遺構が多数残っている。
 幕末、開国により蒸気船燃料としての石炭需要が高まるなか、慶応4(1868)年佐賀藩とグラバー商会との出資事業として、高島に北渓井坑が作られ、外国技術を初めて導入し、蒸気機関を動力とする捲揚機が設置されて採炭が行われ、明治9(1876)年まで稼働した。
 中ノ島炭坑は明治16(1883)年から出炭を開始、翌17(1884)年に岩崎弥太郎の三菱社の経営となり、高島炭鉱初期の主要炭坑となったが、出水が激しく、明治26(1893)年に廃坑となった。
 端島炭坑は、明治23(1890)年に三菱社が買収し、海底深くに埋蔵された良質の石炭採掘の活発化に伴い、生産施設の充実が図られ高島炭鉱の優良坑へと成長した。段階的に埋立て・拡張が進められて行き、南北約480m、東西約160mを測る。また、高い護岸(周囲約1,200m)によって囲まれた、洋上に浮かぶ軍艦のような姿が形成され、昭和49(1974)年の閉山まで操業した。
 高島炭鉱跡は、我が国における初期の近代的炭鉱の様相や、狭隘(きょうあい)な島嶼部を開発した近代海底炭坑の姿を今日に保存しており、わが国近代の石炭産業の成立と発展を示す遺跡である。

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