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棲霞園及び梅ヶ谷津偕楽園

国指定名勝
よみがなせいかえんおよびうめがやつかいらくえん
指定年月日平成25年(2013)10月17日
所在地棲霞園:平戸市岩の上町字亀岡1460 梅ヶ谷津偕楽園:平戸市明の川内町字梅屋敷315
所有者個人

 棲霞園及び梅ヶ谷津偕楽園は、平戸島北部にあり、いずれも平戸松浦(まつら)家35代熈(ひろむ)の命により造営された別邸庭園である。 
 棲霞園は、芝の広い庭を中心として、南側に石燈籠と飛石を有する池(澄鑑池)、背後に園路を廻らせ、西側に言葉亭・錦斎・旧住宅と池が配されている。また、園路に沿って各種石燈籠や石碑が据えられており、回遊を楽しむための仕掛けも施され、園の由来と景勝について記す「御花畑碑」・「十勝碑」、観中公を顕彰した「壽碑」が配置されている。さらに、石碑や稲荷社と石塀、城に通じる「さくら御門」「もみじ御門」の石段・石垣も現存している。
 梅ヶ谷津偕楽園には、北側斜面全域に梶、犬槙、木斛、椨、櫨が植栽され、自家調達を財政対策として意識した松浦熈が、私有地に見本園を造成し、藩財政改善に取り組んだものと考えられる。また、植木屋風の植栽や花壇、盆栽仕立ての梅があったことから、商品化とするための実用化試験場としての機能があったものと考えられる。園内一角に窯を設け、窯業興しを試みた時期も見られ、装飾を施された陶器が花壇の縁取りとして現在も残っている。
 風致景観を活かした庭園であるが、詩歌などの趣味や休養に利用されただけでなく、茶道や蹴鞠などの文化継承の場でもあった。また、対外的な緊張から園内に砲台を設けたり、火災時の避難場所とされたりするなど、社会的、政治的な機能を一体的に整備したものと思われ、いずれも完成年代やその後の変遷が明らかであることから、平戸地方の幕末期の状況を反映させた庭園として特徴ある造形をよく残している。

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