大村藩初代藩主大村喜(よし)前(あき)は、領地の確保と家門維持のためキリスト教から日蓮宗に改宗。慶長13年(1608)に菩提寺として本経寺を建立し、境内に大村家の墓所を開創した。墓域は4代純長(すみなが)公(1651~1706)の時代に整理され現在に至っているが、その中には、歴代領主・藩主の墓13基、正側室16基、一族39基、家臣6基、法華塔4基計78基の墓碑がある。
墓碑群の中には地上6mを超える棹石塔、五輪塔や1枚の岩石を2段重ねの凸形に切り抜いた巨大な台石、石工技術の粋を尽くした宝筺印塔、石造霊屋、六角宝塔などがある。
墓石の大きさ、形体はさまざまであるが、藩主の威光をしのばせる巨大な墓碑群であり歴史資料としても価値のあるものが多い。
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