臨済宗建仁寺派である春徳寺の境内にある長崎で代々唐通事をつとめた東海家の墓。東海氏の祖は中国・浙江省紹興府の人で徐(じょ)敬(けい)雲(うん)。元和3年(1617)長崎に渡来、酒屋町に居住。夫人は大村の人。長男・徐(じょ)徳(とく)政(せい)が2代目で、東海徳左衛門と名乗った。徳左衛門は唐小通事となり、のち目付役となる。慶安2年(1649)に父・徐敬雲が死去、万治元年(1658)には母が死去する。この墓は2代徳左衛門が両親のために造営したもので、10数年の歳月を要し、延宝5年(1677)には竣工したという。墓の規模は広大で、善美を尽くし、全体の平面は五輪塔の形を示すが、意図的に計画されたかどうかは不明。周壁・床面は石を畳み、石柱・扶壁・石欄その他は文字・植物・動物などを彫刻し、獅子頭の眼には金箔を張って、これが陽光に輝くのが港から望見されたという。最奥に徐敬雲夫妻の墓碑があり、5段に分かれて手前へ低くなっており、東海氏子孫の墓碑が建ちならんでいる。
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