この人形浄瑠璃の歴史は古く、享保18(1733)年に始まるといわれている。阿波の流れを汲む朝日林五郎が稗木場に来て村の青年を指導し、さらに十数年後、大分県中津から吉田柳平師が来て阿波流三人遣いの技術を伝え、演技はいよいよ精緻なものとなり、皿山人形浄瑠璃の評価は高まった。現在、皿山には50個以上の人形があり、衣裳も立派なものが残っており、時代物にすぐれている。
なお、この文化財は、昭和29(1954)年4月13日に県指定無形文化財に指定されていたが、昭和52(1977)年1月11日に指定解除、同日、県指定無形民俗文化財に指定されている。