天正10年(1582)大友・大村・有馬三侯の遣欧使節副使としてローマに行った中浦ジュリアンの故郷である。
ヴァリニャーノ神父の記録やイエズス会名簿等によると、ジュリアンは大村領中浦の領主の子であった。ジュリアンは帰国後イエズス会に入会し、マカオのコレジヨを卒業して長崎で司祭となり、迫害の下に潜伏宣教師として活発に活動し、ついに寛永10年(1633)西坂で穴吊りの殉教を遂げた。指定地は館(たち)と呼ばれ、現在畑地となっている。側に城山(じょうのやま)と呼ぶ山城跡があり、南西の集落を垣内と呼び、南東に隣接する低地を御(み)園(その)という。
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