この防火壁は江戸時代につくられたものである。江戸時代、対馬藩府中(現厳原町)はしばしば大火に見舞われた。藩当局は種々その対策を講じたが、その一つとして天保12(1841)年以後防火壁をつくり、その延焼を防ごうとした。これら石垣によるものは全国的に類例が乏しく貴重である。
対馬の防火壁は砂岩・泥板岩・石英班岩等の豊富な石材を利用したものである。火災の類焼を防ぐために火切として築かれた石垣で昔の町割に沿って設けられている。
この防火壁はほぼ1世紀半経過しており、自然崩壊、ないし屋敷地の改造等に伴う破壊などにより徐々に消滅しつつある状況にある。よってそのうちの一つで、最も当時の姿を伝え、かつ天保15(1844)年正月という築造年月の陰刻の見られる本防火壁を指定した。
大きな地図で見る