南北朝時代、足利尊氏・直義は諸国に安国寺の建立を求めたが、壱岐国ではすでにあった海印寺をこれに充てた。開山は京都南禅寺の無隠元晦。寺には創建当時以来の遺品が伝来しており、絵画5点・古文書2点・梵音具2点を「安国寺什物10点」として一括指定した。
絵画は「絹本着色羅漢像」(二幅)・「絹本着色羅漢請雨図」(一幅)・「絹本着色十六善神図」(一幅)・「絹本着色釈迦文殊普賢三尊像」(一幅)からなる。「羅漢像」は室町時代上期の佳作であり、「請雨図」は李朝前期の画風で描かれているなど、本県には数少ない特異な仏画が含まれている。古文書は、「応永三年安国寺住職任命書」(一通)・「応永十年聖福寺住職任命書」(一通)・「応永十三年安国寺寺領書」(一通)と応永3(1396)年から応永13(1406)年のものが伝来する。梵音具は「文明九天丁酉銅製雲版」(一面)・「銅造五鈷鈴」(一個)の2点で、前者は文明9(1477)年の銘をもつ。
このほか安国寺には、契丹の重煕15(1046)年の奥書をもつ「高麗版大般若経」(国重要文化財)を所蔵する。
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