対馬島主宗氏が享禄元(1528)年に築いた平城で対馬の政庁であるとともに朝鮮外交の場であった。山を背にし、南側には堀の役目を果たしていた金石川が流れている。
築城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵時の出城として築かせた清水山城の天正19(1591)年より古く、享禄元(1528)年とされる。『宗氏家譜』によると、享禄元(1528)年10月に宗氏一族の間で内紛が起き、それまでの屋形が焼失したため、島主の宗将(まさ)盛(もり)が、もと国分寺のあった金石の地に移って、屋形を築いたとされる。延宝6(1678)年、 桟原(さじきばら)に屋形が完成し、新たな府城となるまでの150年間、宗家の居城であった。明治24(1891)年に解体されるまで屋形は存在し、文化8(1811)年、朝鮮通信使来朝時には、建物の一部を増築して宿舎に充てている。
城跡の遺構は東門(大手櫓門を含む)の桝形、西門の桝形および周辺の石垣、また金石川沿いの石垣などが良好に残っている。また、西門に近接して心字池の庭園遺構が残っている。
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