国史跡「金石城跡」に隣接し発掘された庭園遺構。全体的に保存状態が良好で、対馬藩主宗家墓所と背後の山並みを借景としている。
宗家文書『毎日記』には元禄3(1690)年から元禄6(1693)年に「御城」(金石城)での作庭が行われたことを伝える記事が見られる。文化3(1806)年には朝鮮通信使を迎えるために宿泊所の建設など場内の整備を行った際に描かれた図面に庭園も記されている。
高低差のある池の縁部に配置された大小の景石やその下方から水中に没していく玉砂利の景色は、対馬東岸の風景を模したものと考えられ、対馬独特の風土を活かした作庭精神がうかがい知れる。
玉砂利敷きによる洲浜は奈良時代から平安時代にかけて流行した様式で、近世庭園としては希少な意匠・構造をもつ。
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