もと対馬藩主宗氏の中屋敷門であったが、幕末には藩校日新館に用いられた。大門に石塀・石塁(門庭)・脇造屋が付属する。江戸末期における大名家の格式を備えた武家屋敷門の遺構としては、本県では貴重なものである。昭和45(1970)年に長崎裁判所厳原支部の新築に伴い保存のための解体工事が行われ、木材、瓦は倉庫に保管された。昭和55(1980)年に復元要望が対馬文化財調査委員会からあり、平成3(1991)年から平成5(1993)年にかけて現在の地に復元工事が行われた。
旧日新館門は東に面して建ち、表門・中間部屋・繋塀で構成されている。表門の前の南北に中間部屋が独立して建ち、南北の矩折れの繋塀が表門と中間部屋を繋いでいる。
屋根は表門・中間部屋が本瓦葺、両繋塀が桟瓦葺である。
20年間に及ぶ木材の倉庫保管ではあったが、復元し際しては、可能な限り当初の材料を使用し当初の姿を再現されている。