対馬東岸の良港佐賀(さか)浦は、室町時代前期を通じて島府が置かれ、島主宗氏はこの地にいて全島を支配した。宗貞茂(応永)、宗貞盛(応永~享徳)、宗茂職(しげもと)(享徳~応仁)を経て、宗貞国が応仁2(1468)年府中(厳原)に移るまでの間、円通寺は宗氏の菩提寺であった。 円通寺の裏山に数基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるが、個々の墓についての所伝はない。円通寺の寺号は、貞盛の法号である。中世の由緒ある墓地として、対馬の歴史を知るうえで貴重な遺跡である。