厳原港の南、久田浦に注ぐ久田川河口に所在し、人工の入江に4基の突堤と5つの船渠(せんきょ)がある。
寛文年間の築造と考えられ、築堤の石積みは当時の原形を保ち、往時の壮大な規模を窺うことができる。対馬藩は多くの公用船を所有し、大阪・博多・長崎・釜山等各方面を航海したため、この船江に入渠して船体の手入れをしていた。陸上には造船場があり、船大工や水夫たちの納屋があったという。
江戸時代、水辺の各藩はいずれも藩船を格納する施設を設けていたが、これほど船渠がよく遺存している所は、他に例がない。日本近世史上、貴重な遺構である。