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ファイル 金蔵寺の銅造如来形坐像

朝鮮高麗時代後期の制作で、像高73.4㎝
金蔵寺の銅造如来形坐像
有形文化財(県指定) 
よみがなこんぞうじのどうぞうにょらいがたざぞう
指定年月日昭和52(1977)年1月11日
所在地壱岐市勝本町新城西触590
所有者金蔵寺
最寄り駅「鎌田」バス停下車 徒歩15分

 高麗時代中期の制作と考えられる銅造如来形坐像。ことに小粒な突起状の螺髪(らほつ)が小高く盛りあがった肉髻(にくけい)部から地髪までびっしりとつまっている。鼻稜は短かく唇も小さい。そして頬肉の張りやあごの表現など特徴のある面貌である。通肩に衣をまといその上に袈裟をかけていて、胸前のあきはやや少ない。やはり腹前に裙を結ぶ紐がみえ、タガネで彫り加えている。右手は胸前にあげて親指と中指を捻じ、左手は膝の上に差しのべて親指と薬指をまるめている。膝の張りは坐高に比べて狭く、厚みもあまりない。土型による一鋳で、湯切れや鋳かけのところもあり、両手は別鋳にして銅クギで留めている。像高73.4㎝。
 本像はもと釈迦院の本尊。釈迦院が廃滅し、神岳山本宮寺の本堂の客仏となっていたが、いつのころからか本尊である不動像に代わって本尊の位置を占めるようになった。明治5(1872)年に本宮寺は廃寺となるが、明治38(1905)年に末寺の若宮山金蔵寺が本宮寺の跡に移り神岳山金蔵寺と号して現在に至っている。

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