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ファイル 聖母宮本殿・西門・南門

西門・南門は天正20(1592)年、本殿は宝暦2(1752)年に建造された
聖母宮本殿・西門・南門
有形文化財(県指定) 
よみがなしょうもぐうほんでん・にしもん・みなみもん
指定年月日平成16(2004)年2月25日
所在地壱岐市勝本町勝本浦553番地
所有者宗教法人 聖母宮
最寄り駅「仲折」バス停下車 徒歩3分
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 聖母宮は、壱岐島の北端、勝本町に位置する島内有数の古社である。
 本殿は、3枚の棟札(むなふだ)と建物の細部様式から、宝暦2(1752)年に平戸藩主松浦盛信によって再建されたものとみなされる。
 本殿は三間社流造(さんげんしゃづくり)・柿葺で造営、桁行3間、梁間2間の身舎は三連の正方形を前後に並べた平面計画である。室内にも柱が立ち、この柱筋に板唐戸三扉を設けて内陣と画する。外陣は板張りの床に竿縁天井とし、全面に建具を入れず開放とする。両側面には内側に虎を描いた引違いの板戸を建て込む。
 西門は、天正20(1592)年に加藤清正によって建立されたのち、明和5(1768)年に壱岐勝本の鯨組棟梁・土肥市兵衛(どいいちべえ)によって脚材の一部が取り替えられた。
 西門の構造は桧材の径8.75寸の丸い親柱に冠木を載せ、地・腰・頭の3箇所の貫を控柱に通して前後を固める。控柱は大きく切面を取った方柱である。全体的に風蝕が著しく彫刻の文様も不明である。
 南門は西門と極めて似ており、建築年代は天正20(1592)年と考えられる。
 規模は、間口・奥行とも西門よりも二割方小振りである。構造・組物等も両者同じ形式をとり、僅かに懸魚の形が異なる程度である。こちらの木鼻には渦文が比較的良く残っている。扉は当初からなかったらしく痕跡が見られない。西門に劣らず風蝕が進行しているが全体的に古い形態を留めている。
 聖母宮本殿は、18世紀中葉に遡る建築年代は県内の神社本殿では最古に近い部類に属すること、また、全体の姿形もよく均整がとれていて造形的に優れていること、細部には極彩色や彫刻を多用するといった壱岐の地方色を表していることなど、大変重要な建造物といえる。

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