法清寺は対馬南部の西海岸、元寇の激戦地として名高い小茂田浜から佐須川を少し遡ったところの樫根(かしね)にある。これらの仏像は下原村鶴野の観音堂に伝えられていたものが明治21(1888)年に当寺に移されたものである。仏像のなかには体躯の大きな風貌の魁偉なものが多く、蒙古仏と呼ばれたりしていたが、いずれも本邦の平安時代の仏像である。いま、本尊千手(せんじゅ)観音立像安置の左右の間に所狭しと安置されているが、おだやかな作風の菩薩形立像2躯,地蔵菩薩立像2躯のほかは、他に類例を求めにくい独特の雰囲気をもつ土着性の強い彫像である。如来形立像、同坐像、十一面立像、地蔵菩薩像あるいは梵天(ぼんてん)像や僧形文殊(そうぎょうもんじゅ)などをまじえ、制作は数期に分かれるようである。