二匹の竜が渦巻形の宝珠を噛む竜頭の形式は、異形ながら和鐘系であるが、鐘身はほぼ朝鮮のデザインによっている。即ち、肩の四方に葉状の飾りをつけ、四方に乳廓をつくって4段4列の笠形乳を配している。鐘身中央には飛天像をあしらい、下半分には撞座を竜頭の長軸線上に二個配し、撞座をはさんで、向いあった竜が瑞雲を吐いて、海波上におどるさまを陽鋳している。鐘身の陰刻銘文によって、応仁3年(1469)に、仁位の清玄寺鐘として宗盛家らの発願でつくられたことがわかり、作者は筑前芦屋金屋大工大江貞家らで、対馬に渡って鋳造したと伝えられている。江戸時代、享保12年(1727)には対馬藩主の居所である府中の宗家菩提寺・万松院に移り、さらに城下町内に移され時鐘として利用されていた。中世における朝鮮半島文物影響の北部九州で消化しえた数少ない例証である。総高139.8cm。
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