長崎市外海の石積集落景観は西彼杵半島中部の出津川流域で営まれる、近世から続く畑作を中心とした集落景観であり、結晶片岩を主とする独特の地質によって形成された石積みを特徴とする。
流域の河岸段丘面及び山間部の斜面地では、17世紀初頭の甘藷栽培の拡大に伴って斜面地の開墾が進み、近世後期にかけて山頂まで畑地が切り拓かれた。幕末に作成された絵図には、居住・畑地・墓地が一つの単位として点在する集落の様子が描かれており、こうした集落構造は現在も継承される。
集落の中には、斜面地を開墾した際に出土した結晶片岩を用いて、土留めの石垣、防波・防風の石築地(ついじ)、居住地の石塀、住居・蔵の石壁など多種多様の石積み構造物が築かれてきた。
結晶片岩の石に赤土及び藁(わら)すさを練り込んで築いた伝統的な石壁である「ネリベイ」のほか、明治期にはパリ外国宣教会のマルク・マリー・ド・ロ神父によって、藁すさに代わり赤土に石灰を混ぜる練積みの「ド・ロ壁」が導入され、現在もこうした石積み構造物が数多く残されている。
このように、外海では、出津川流域の斜面地又は狭隘な平地において、結晶片岩を多用した石積みを特徴とする文化的景観が展開しており、近世から続く畑作を中心とした生業の在り方を含め、独特の集落景観が形成されている。
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