対馬の西海岸厳原町小茂田の集落の東方、北から延びた丘陵の稜線上に横穴式石室を具えた3基の古墳からなる。
1号墳は、東西11.6m、南北10.5m、高さ2.4mの墳丘に貼石を施した3段築成の方墳で、埋葬施設は無袖式の横穴式石室である。出土遺物には金銅装大刀、木棺に使用された鐶座金具及び土器があり、7世紀前半から終末までと考えられる。2号墳も東西8.8m、南北10.5m、高さは2.5mを越える墳丘に貼石をもつ3段築成の長方形墳である。この古墳を特徴づけるのは、T字形を呈する横穴式石室である。出土遺物は金銅装大刀、銅鋺及び須恵器で、その内容から7世紀中葉から終末のものと見られる。 その後の調査により、1・2号墳の東側で新たに発見されたのが3号墳である。盗掘がされていない未掘墳で墳丘に石を積み上げた東西4.2m、南北6.6mの長方形積石塚である。
石室構造・出土品により、7世紀後半頃まで追葬使用された終末期古墳と考えられ、良好な保存状況である。77紀代に属する古墳として、当時の国際情勢における対馬の位置を考える上で欠くことのできない遺跡である。
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