原の辻遺跡は、弥生時代を中心とする大規模な多重環濠集落であり、中国の歴史書『魏志倭人伝』記載の「一支国(いきこく)」の王都として特定された極めて重要な遺跡である。遺跡は、平野に張り出した台地と低地一帯に立地し、100haほどの範囲が推定される。環濠内と低地には居住域が拡がり、台地中央の頂部に高床建物をもつ祭儀場跡が存在する。6箇所ある墓域では、石棺墓・土壙墓(どこうぼ)を主体として、中国鏡・銅剣・腕輪の青銅器、ガラス玉・勾玉(まがたま)などが副葬された有力者の墓も認められる。台地西側の低地では、これまでに確認されている中では東アジア最古の船着き場跡が発見され、周辺の低地では稲作を行っていたことが確認されつつある。遺物は、青銅製馬車具、三翼鏃(さんよくぞく)、中国貨幣(五銖銭(ごしゅせん)・貨泉(かせん)・大泉五十(たいせんごじゅう))、鉄器、朝鮮半島系土器、床大引き材、ココヤシ製笛など、大陸との交流・交易を物語る遺物が多く出土している。指定面積は、184,400.23㎡(H21.2.12追加指定分1,741㎡を含む)。
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