五島藩主五島氏の居城跡である。堅牢な石垣を持ち、城郭の三方を海に囲まれた海城であった。
五島氏は江戸初期以来居城をもたず、久しく石田陣屋によっていた。幕末、近海に異国船の出没が頻繁になったため、藩は幕府に海防上の理由をあげて築城を半世紀近くにわたって願い出、嘉永2(1849)年に許可され、これより14年後の文久3(1863)年に完成させた江戸時代最後の城郭である。城は本丸と二の丸からなり、これに内堀、外堀がめぐらされている。海防を目的として、石火矢台場が各郭の隅の要所に設けられているのが特徴である。築城9年にして城は解体された。
大きな地図で見る