嘉永2(1849)年、石田城(福江城)の築城が始まった。石田城は、北海道松前の福山城とともに最も新しい大名城郭である。城の完成が間近となった安政5(1858)年、30代盛成(もりあきら)公は、石田城二の丸の西南端に邸宅と庭園を造った。
庭園は、座敷書院の東側に広がる三方を土坡(どは)と石垣で囲まれた地に約1,000㎡の池(心字が池)を中心に造られている。
周囲の庭石と築山は、すべて「鬼岳」の溶岩を用いており、植栽としては亜熱帯植物を配置している点に特色がある。作庭時期が明瞭で、邸宅も一体となって保存されていることなど、保存例の少ない城郭内の庭園である。
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