五島列島最北部に位置する中通島では、沿岸部の浸食地形に立地し漁業を主な生業とする集住(しゅうじゅう)形態の集落と比較的緩やかな斜面地に立地し主に農業を営む散村形態の集落といった対照的な集落形態が形成されている。
紀州や泉州から移住してきたとされる漁民は、加徳(かとく)と呼ばれる世襲制の漁業権を有し特権的に漁を行ってきた。現在は津和崎・小瀬良・立串の3集落において、定置網や一本釣りなどによる沿岸漁業を中心に多様な魚種を捕獲している。
一方、農業集落は、江戸時代後期に農地開拓・食糧増産のため主に大村藩より農民が移住してきたことに起源を持つ。開拓を効率的に行うため、一部の集落ではイエワカレと呼ばれる独特の相続慣行により、居住地や農地を広げてきた。現在も主に甘藷が栽培されており、収穫された甘藷は薄く切り干しにしたカンコロに加工される。カンコロの乾燥には木や雄竹で作られたヤグラが用いられ、ヤグラに隣接してカンコロを茹でるジロが設置される。自家消費用の甘藷や種芋はそのまま家屋の床下に設けられた竪穴式のイモガマに保存するなど、甘藷の栽培から加工・保存まで一連の生産に関わる施設が各戸単位で形成されている。
このように「新上五島町北魚目の文化的景観」は、厳しい地形条件に適応し、社会的な環境の結果として生まれた農村と漁村という対照的な形態をなす集落による文化的景観である。
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