五島列島の福江島にある真言宗の古刹・明星院に伝わる如来立像。やさしい慈愛あふれる表情には清楚な深みをたたえ、そこには明るい童顔の白鳳仏の笑みをも読みとることができる。螺(ら)髪(ほつ)は碁盤状にタガネを入れてつくり、両肩を通した衣の胸もとには僧(そう)祇(ぎ)支(し)がみえる。そして、腹部から下にはU字形を重ねた左右相称の形式的な襞(ひだ)を簡素にととのえている。反りの少ない単弁の反花を蹴込みのある丸框(かまち)でうける台座も、本体とともにろう型を用い、一度に鋳造している。しかし、左右の手先は別に造って袖先で鋲留めしているが左手先は失われている。
造型の基本には飛鳥時代の特色がみられるが、可憐な童貌を呈する目鼻立ちの彫りは浅く、また衣文も鎬立てず柔らかく表現しているところをみると、制作は7世紀半ば・飛鳥時代と考えられる。
薬師如来像と伝えられ、近隣の当院の隠居寺である東楽寺(廃寺)から貞享3年(1686)に移座されたことが木製厨子の墨書でわかる。この愛すべき端正な小金銅仏が、遣唐使が最後にわが国を離れる西海の離島で見出されたことは感慨深く、上代金銅仏の分布を考える上での意義も大きい。
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