寺伝によれば大同元(806)年僧空海が唐から帰朝の途次ここに参籠して明星庵と名付け、文治3(1187)年宇久家盛が五島家の始祖となって以来、五島家代々の祈願所であったという。この本堂は棟札により安永7(1778)年の再建と思われる。幕末までは一般庶民の檀那寺ではなかったので、規模は大きくはないが、内部の柱桁に極彩色を施し、格天井には花鳥画を描き、両側小壁には華鬘(けまん)を懸けるなど、藩公祈願所としての荘厳に意を用いてある。昭和45年(1970)屋根の本瓦葺が銅板葺に改められた。
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