船錨は天明2(1782)年、川内浦の海中から引き揚げられたもので、17世紀平戸に入港していたオランダ船が使用したものと考えられる。平戸松浦家34代清(きよし)は、この錨を模写させ、それを出島の蘭館長イサアク・テツシンキに見せ、蘭文の証明書を作らせ、オランダ通詞本木栄之進に翻訳させた。これらに関する1件書類10点が附属文書として残されている。これらの資料は17世紀における平戸のオランダ貿易関係資料として、また蘭文関係文書は出島関係資料として貴重なものである。 大きな地図で見る