平戸市田平町に所在する全長約34m、後円部直径約22m、高さ約2.5mの前方後円墳である。
昭和63(1988)年の発掘調査により、後円部中央に埋葬施設の痕跡を確認したが、既に盗掘を受けており、出土遺物は土器片のみ数十片であった。後円部と前方部の主軸長はほぼ2:1に近い比率を示し、先端部で撥形に開く特徴を有し、近畿地方の纏向型前方後円墳に近い形態である可能性が大きい。社殿のある台地と後円部の間には空堀地形が明瞭に存在し、台地の先端部を切り離すことで墳丘を造ったいわゆる「丘尾切断」型古墳である。
長崎県本土部に所在する8基のうちの1基で、4世紀中頃までに築造されたものであると考えられ、九州でも最古グループに属する前方後円墳であるため大変貴重である。
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