益冨家は、江戸時代中期~明治時代初期まで、約150年間操業した鯨組で、最盛期(19世紀前半)には生月島、壱岐、五島などで5つの鯨組と3,000人もの従業員を擁したわが国最大の鯨組主であった。
大規模な主屋2階建て部分、書院造の形式を整えた平屋建て部分、藩主用の御成門、造形的にも秀逸な邸宅内の神社が現存し、文政12(1829)年制作という『勇魚取絵詞』に描かれている往事の姿をよく伝えている。
わが国最大の鯨組主の居宅の姿を良好に留めているとともに、長崎県の捕鯨業の発展の様子を現在に伝えるものである。
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