岩間山正宗院大聖寺は豊臣秀吉による朝鮮出兵に法螺師(ほらし)として参陣したといわれる平戸の僧侶が開いたとされ、本仏像は、朝鮮から持ち帰ったものとの伝承から渡来仏と考えられていた。しかし、穏やかな面部の表情は平安時代後期の円満な相好(そごう)で、藤原様式の特色をみせている。腰から下の部分は、裳襞(もひだ)の浅い彫りが平行線状に整えられている。銅造ゆえに裳先などの欠落もなく、当初の衣文(えもん)表現のすみずみまで知ることができる。
製作技法は銅鋳造(どうちゅうぞう)で、蝋型(ろうがた)による鋳成(ちゅうせい)と考えられる。頭・体・膝前を本体として鋳造し、両肩から手先までを別に左右の腕として鋳造している。そして肩への着装は、腕側に鳩の尾形のほぞを作り、肩側に対応するほぞ穴を設けて掛け締める蟻ほぞ留めの構造方式をとっている。
日本の仏像は、平安時代以降は木彫像が中心となっていき、特に平安後期の木彫全盛の中では、銅造仏で現存しているものは少なく、本仏像は貴重な例といえる。
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