室町時代の末、五峰王直(ごほうおうちょく)、鄭芝龍(ていしりゅう)などは倭寇の活躍に呼応して中国の海商で日本の沿岸にもその寄港地を設けた。
芝龍は平戸川内浦に屋敷を構え、田川松女をめとって成功を生んだ。居宅跡には、現在ナギの大木が残っている。当時明朝は戦乱の時代であり、芝龍父子は明朝に呼びかえされ明朝のために活躍したが、遂に明朝は清に亡ぼされたので、成功は台湾に渡り明朝の再興を計ったが、寛文2(1662)年、39歳で病死した。
江戸時代、彼の生涯を題材とした、近松門左衛門作の人形浄瑠璃「国姓爺合戦物語」が上演され、わが国の人達にも親しまれた。
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