日本最西端の古唐津系陶器窯跡で、「茶碗窯」と「皿焼窯」の2ヶ所がある。
慶長3(1598)年に松浦鎮信(しげのぶ)が、朝鮮出兵からの帰陣にあたって同行した朝鮮熊川(こもがい)出身の巨関(こせき)と頓六(とんろく)らに開かせた窯と言われる。製品は高麗風の刷毛目文様や、白化粧土に呉須や鉄釉で絵付した茶陶類から一般の日用雑器である壺、甕まで見られる。また一部には白磁染付の製品もあるところから、陶器から磁器焼成へと移行する過渡的な窯として貴重である。焼成期間は慶長3年から本格的に白磁焼成を行うこととなった同領内の三川内に移るまでの間で、その年代については元和8(1622)年、寛永14(1637)年、慶安3(1650)年の諸説がある。その後、弘化年間(1840年代)に天草陶石を使用して再度磁器焼成を行っている。
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